まるごとの自分でいたい。

自分の黒いところに興味が湧いてきた。

 




隠してた、見て見ぬ振りをしていた、影の部分。

 

ドス黒い部分。

 

 

自分のその扉を開きたい。

 

 

以前までは、見るのが怖くて、怖くて、

避けてきた。

 

私には影がない、とか、

もう見た、とか、

なんだかんだと言い訳をして

 

見ないままにしていた。無意識に。

 

それは人間の防御本能かもしれない。

 

だけどそんなことをしてても何も始まらない。

 

人間はどこまででも自分を誤魔化せる生き物だ。

 

 

 

 

影と光で一つなのだから、

 

明るいだけ、いいことだけ、

ということはないのだ。

 

なのになぜ、こんなにも影の部分を隠すのか。

はじめから、丸ごとの自分を見てもらう方がよっぽど楽で、

よっぽど有意義な人間関係になるのではないのか、と。

自分自身との関係も含めて。

隠すからしんどくなるんだ。

 

人は明るい部分と暗い部分の両方があるから成立するし、

両方あるから美しいのだと思った。

 

自分の黒い部分をもっとみたい。

 

例えば、心の中で、自分はあの人よりはマシだ、あの人よりは上だ、勝ってる、という様な比較競争をしていたり、人を小馬鹿にしたり、

私は正しく生きれてる、と言い聞かせていたり。

ニコニコ笑って明るく優しい私はいい人だ、とか。

 

わがままに生きると言っときながら、

めちゃめちゃ空気を読んで大人ぶって、相手の顔色をうかがってばかりだったり。

相変わらず、自分の思いではなく、相手が欲しそうな回答をしていたり。

頭ばかり、口ばかりで、行動が伴ってなかったり。

 

黒い部分というか、ダサイ部分でもある。

 

そんな自分をガンガン見て行きたい。

 

うお〜〜〜!黒いな、ダサイな、

と、落ち込みたい。

 

ダサイ自分を知って、とことんウンザリした上で、

そんな丸ごとの自分で、他人や社会、自分と関わりたい、と思った。

 

 

コソコソと隠れるのはもう嫌だ。

外側にペタペタと自分以外の『誰か』や、

『私ちゃんと生きてるもん』などのマインドを貼り付けて、

お利口さんをアピールするのももういい。やり切ったし。

 

堂々と、光と影の両方を晒し、オープンになり、自分を開き、

もっと身軽に軽やかに”私”を生きれる様になりたい。

 




坂爪圭吾という一人の人間は、

ビシバシと、私に大切なことを伝えてくれた。



出会って、感動してしまった私には、

変わる責任がある。


というと重く聞こえるけど。


心が震えてしまったのだから。

心が反応してしまったのだから。



私なんてどうせ、

と言ってないで。


真似でもなんでもいいから、

私も日々の思いを文章や何かにのせて形にしたい。


これは、

私の気持ちを私が尊重するための訓練だ。


ただ言う。



私の気持ちを言う。


いつも聞いてることが多かった私の

小さな挑戦だ。









またね。

 

 

Amie